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2013/8/28
似乎有著某種磁場,很讓我著迷!
有到京都車站的人,請記得去拿這一本日本鐵道(JR)觀光手冊!
日本不愧是個佛教國家,國家鐵道正在宣傳西国番三十三札所,8/15參加山梨縣南部町的花火祭,祭典一開始竟然誦的是一整部的法華經,很讓人感動!
総持寺は高野山真言宗、西国二十二番札所、平安時代創建の古刹。千手観音がご本尊ですが、正式には千手千眼観世音菩薩と言い、千本の手と千個の眼を持っているそうです。
総持寺は、お大師さま(弘法大師)が開かれた高野山を本山としています。
這位老先生從進山門開始,就一直在我的鏡頭裡,要找一張沒有他的影像,竟然都不可得?為何打問號?因為我也覺得很奇怪?
總持寺處處皆是精緻的日式僧院
這些線條似乎有著某種磁場,很讓我著迷!
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2013/8/25
粉河寺的緣起繪卷
因為又去了京都一趟
西國三十三札所巡禮停在粉河寺好幾天,很抱歉!
日文資訊慢些時候再翻譯上來!
西國第三番札所『粉河寺(風猛山)』
現存の当本堂は享保五年(1720)再建された。江戸時代中期の欅材による,代表的建築で西国三十三ヶ所の中で最大である。他に類例を見ない,特異な形態で、一重屋根の礼堂と二重屋根の正堂とが結合した構成を.
西国三十三所第三番の札所であって、第一番那智の青岸渡寺、第二番の紀三井寺とともに紀州三大霊場の名刹である。
和歌山県紀の川的粉河寺讓我最深刻的是這盥漱盤
盥漱盤(かんそうばん)(荷葉鉢)
盥漱盤(荷葉鉢) - 市指定文化財、粉河鋳物師蜂屋薩摩掾五代目源正勝の作。総高240cm、幅185cm
粉河寺縁起絵巻(鎌倉初期)
紀伊国那賀郡「粉河寺縁起絵巻」(国宝・西暦11世紀後半)
紙本著色・幅約30cm長さ役20mで、詞書と絵画によって構成され、霊験物語二話を一巻に描いている。
粉河寺. 粉河寺は宝亀元年(770)に大伴孔子古によって創建されました。国宝の「粉河寺縁起絵巻」は本尊千手観音像の由来と観音にまつわる霊験記が記されています。
前半は、宝亀元年(七七〇)千手観音の化身童男行者の加護を得て、大伴孔子古が草堂を結び、千手観音像を安置して粉河寺が開創された経緯と千手観音出現の奇蹟)が、
又後半には、河内の国(現東大阪市)の長者の娘の病気が、伴の童男行者の祈祷によって平癒した経緯(千手観音の霊験)が描かれている。因みに東大阪市足代の名門、塩川家がそのご子孫である。
紀伊の観音霊場粉河寺の本尊にまつわる縁起を描くもので、前半(二段)は、猟師の発願によって千手観音堂が建立された由来、
後半(三段)は観音の化身が河内の長者の娘の病を癒し、それに感謝して一族皆出家して、粉河の別当となったという霊験物語を描く。
ひとつの物語を長い画面に展開する形式をとり、観音堂と猟師の踞木とを繰り返し同じ形で描く画面構成法や、勁直な線描による樹木、単純な形態の山容など全体に古風で素朴な味わいがある。
2013/8/20
線條很美的松尾寺
松尾寺的國寶:絹本著色普賢延命像
第29番札所,京都舞鶴,青葉山松尾寺西國三十三所靈場
屬於真言宗醍醐派
威光上人は唐よりの渡来僧。
時に慶雲年中、唐の僧、威光上人が当山の二つの峰を望んで、中国に山容の似た馬耳山という霊験のある山があったことを想起された。登山したところ、果 せるかな松の大樹の下に馬頭観音を感得し、草庵をを結ばれたのが、和銅元年(七〇八年)と伝えられる。
現存の仁王門は江戸中期、享保15年~享和2年(1730~1802年)に建てられたものといわれ、風格のある建物である。門には『青葉山』の山号が書かれた額が掲げられている。
「若狭富士」と呼称される青葉山(699米)の中腹に位置する。
本尊の憤怒の形相をしたご本尊は、三十三霊場中唯一の馬頭観世音菩薩。三面八臂の坐像で漁師春日為光作といわれ、体内仏として威光上人が刻んだ像が収められている。
走到第29番,已經進尾聲了.
所以十一面觀音或是聖觀音或是如意輪觀音都可以琅琅上口了
結果到這裡,碰到這唯一的馬頭觀世音御真言,馬上舌頭打結.
本尊為馬頭觀世音是三十三霊場中唯一的觀音像。
馬頭観世音菩薩・御真言「おん あみり とどはんば うん はった そわか」
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